㊦鰐口の発見、当時知る手掛かり
- 2020年12月2日
1800(寛政12)年にユウフツ(勇払)とシラヌカ(白糠)へ移住した八王子千人同心の蝦夷地での実態は関連資料が少なく、謎が多い。そうした中で、釧路市の無量山自然院大成寺で原半左衛門胤敦が奉納した鰐口(神社仏閣の正面につり下げられる鈴のような仏具)の発見は、千人同心の当時の活動の様子を知る手掛かりに
1800(寛政12)年にユウフツ(勇払)とシラヌカ(白糠)へ移住した八王子千人同心の蝦夷地での実態は関連資料が少なく、謎が多い。そうした中で、釧路市の無量山自然院大成寺で原半左衛門胤敦が奉納した鰐口(神社仏閣の正面につり下げられる鈴のような仏具)の発見は、千人同心の当時の活動の様子を知る手掛かりに
1858(安政5)年3月、開拓と北方警備を目的として、石坂組同心組頭秋山喜左衛門の子息である幸太郎が蝦夷地移住願を出し、4~50人が志願して移住した。移住先は箱館(現・函館)近郊の地域(七重村、藤山郷)であり、千人同心の多くは七重村(現・渡島管内七飯町)で幕府が経営する七重村御薬園の周辺で、開墾や
苫小牧市美術博物館は企画展「八王子千人同心と蝦夷地」を開催中だ。歴史資料を基に八王子千人同心の蝦夷地での事跡を紹介するという内容で、12月13日まで。同館の佐藤麻莉学芸員が3回にわたって解説する。 ◇ ◇ 18世紀後半、蝦夷地には異国船が数多く接近し、さらにはロシアが南下政策を